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城下町長府リビング
山口県下関市長府。
城下町長府は功山寺、神功皇后が訪れた忌宮神社、祭壇を流したと言われる壇具川、紅葉と桜の美しい庭園のある長府毛利邸、長府庭園、美術館、歴史博物館、土塀の続く通りなど、景観大賞にも選ばれた、歴史の香りに包まれた町です。
城下町長府リビングでは、お店、観光案内、名所文化財、生活を紹介します。
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暮らし
1.城下町長府の学校と子供たち
下関市立豊浦小学校
広い敷地と、140年以上の歴史
豊浦小学校は、下記の沿革にあるように、古い歴史を持っています。豊浦ブランドと言われるほど、定評のある校風で、入学希望者が多く、生徒数も多い小学校です。城下町長府の中を通って元気に子供たちが通学しています。
開校の起源は、1792年(寛政4年)に長府藩によって開校した「敬業館」と、1864年(元治元年)長府藩士によって開校した「集童場」が起源と言われている。 (敬業館は別に、県立豊浦中学校となり、現在の山口県立豊浦高等学校にもなっている)
山口県立豊浦高等学校
寛政4年(1792)5月 - 長府藩毛利匡芳、長府侍町に藩校敬業館を設立
元治元年(1864)3月 - 藩士熊野直介が中心となり、集堂場を設立し、広く弟子の教育にあたる
慶応1年(1864)2月 - 集童場敬業館を吸収合併
明治5年(1872)2月 - 旧豊浦県の敬業館を小学と改称
明治8年(1875) - 私立豊浦学舎を長府侍町元御客屋敷に創設
明治12年(1879)10月 - 豊浦藩士族を中心にして[私立豊浦学舎ヲ公立中学校ト為ス条約書]を締結

明治時代の豊浦小学校

豊浦高等学校も長府藩士族の教育に創設された藩校の歴史を持ち、校舎の周囲は白壁が囲んでいます。以前は男子校でしたが、現在は男女共学の進学校です。
山口県立長府高等学校

大正10年 理科の実習風景
長府高等学校も明治創立の歴史を持ち、大正時代の袴姿から、初めての洋装のモダンな制服姿まで、多くの女生徒が学んできました。
明治 33年女子補習学校
37年6月豊浦女子実業補習学校
43年7月豊浦郡立豊浦女学校設置認可、校舎建築着工
44年4月豊浦郡立豊浦女学校創立、新校舎落成
大正 2年4月豊浦郡立豊浦高等女学校と組織変更
4年5月理科教室および寄宿舎新築
8年10月校歌制定
9年10月校旗・校章制定
12年2月校舎・講堂・運動場・寄宿舎等拡充事業完了
12年4月山口県立長府高等女学校と改称。制服を洋服に改制
下関市立長府中学校

城下町長府の真ん中にある長府中学校は、長府毛利邸の敷地続きに位置しています。
校門からずっと、土塀が続きます。
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正門外壁は城下町の風景を壊さないために土塀を使用している。
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1947年(昭和22年)5月1日 下関市立長府中学校 開校。